進捗報告と『Historia』

今日の一枚

f:id:zeal404:20170413022806j:plain アルフォンス・ミュシャ『ジスモンダ』(1894)

国立新美術館で開催されているミュシャ展で見てきた。 書き込みの執念が異常な箇所とそうではない箇所の差がとても大胆で、なんというか現代との近さをすごく感じた。

人間については全然書き込まないところとか。

最近のアレ

前回の更新からだいぶ空いてしまったが忘れたわけではない。 新年度になって、職業柄結構な変動があったため、割と困惑しがちだ。明日はどっちだ。

進捗

前回まで作成していた移動入力方式の実装を忘れたわけではない。進んではいる。 が、個人的に面白そうな方にリソースを割いてしまう。仕方ない。

そういう訳で最近になって別プロジェクトを作成した。

「架空の国家が栄えては滅んでいく栄枯盛衰のドラマを神の視点から眺めてニヤニヤしよう」、というコンセプトのゲームになる予定。

中学生くらいの頃に便覧で「世界史対照年表」を見てワクワクしたのを、なんとかゲームで再現できないかと。(よくわからない人はぐぐるとよい)

併せて、このゲームで「ユーザーが介入できないゲーム」はどこまで実現出来るかを考えたい。

イェスパー・ユールによると、ゲームの特徴は以下の6点。

(イェスパー・ユール(2016)『HALF-REAL』松永伸司訳,ニューゲームズオーダー.より抜粋)

1.ルール

ゲームはルールに基づく。

2.可変かつ数量化可能な結果

ゲームは可変かつ数量化可能な結果を持つ。

3.結果に対する価値設定

当のゲームの異なる可能な結果に対して、異なる価値が割り当てられている。(中略)

4.プレイヤーの努力

ゲームの結果に影響を与えるために、プレイヤーは努力する。(中略)

5.結果に対するプレイヤーのこだわり

プレイヤーはゲームの結果に対して感情的なこだわりを持っている。(中略)

6.取り決め可能な帰結

同じゲーム(同じルールセット)が、現実生活上の帰結を伴うかたちでプレイされることも、それを伴わないかたちでプレイされることもあり得る。

仮にプレイヤーがゲームの進行に全く関与できない一方で、架空の国家が興亡を繰り返すドラマ性が面白いとすると、ユールの定義4には思いっきり抵触することになる。

果たして、それでも『Historia』はゲームなのか?ただの映像コンテンツなのか?

なお、面白くなかったら介入できる要素を追加してお茶を濁す予定。